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2018.7.4 WED

COLUMN

アーティスト


近年、私が最も強く影響を受けた3人のピアニストについてお話します。

一人目は我が師、フランク ブラレイ氏です。音楽院2年目より師事し4年が経ちます。パリ国立高等音楽院では教授陣が学校で授業をするのが普通ですが、ブラレイ氏は学校に滅多に現れないことで有名で、校内にある先生用の書類ボックスからは常に紙が溢れ出ています。レッスンはいつも彼の小粋な自宅にて。そして私がパリで経験した最も美しいシーンの大半はここのピアノ部屋で起きたといっても過言ではありません。

今なおレッスンの度に年季の入った、言ってしまえばガタガタの先生のピアノから引き出される信じ難いほど鮮鋭な音に心震わされます。どこかでよく耳にするような演奏ではなく、もう一度楽譜に立ち返り、音の並びや作曲家からの指示が何を意味し、どんな表現を求めているのかを具体的に探して実現していきます。同時にレッスンでは演劇、オーケストラ、歌、ダンス、料理、ジャズ、ロックなど、ピアノという楽器を超えた様々な分野からのインスピレーションが多用されます。「作曲家は演奏家を信頼して、君たちが生きた音楽にしてくれると信じて、書かなかったことだっていっぱいあるはず。まずは誇張しながらいろいろ試してみて。何かを語ることへのリスクを負いなさい」とおっしゃいます。そのようにして先生の手ですくい取られる音楽は、全く新しく感動的なものとして私の前に立ち上がり、かつ楽譜に記されていることから逸脱していないのです。例えば私が書かれている通りだけれど単調なリズムを弾こうものなら、途端に「今朝、朝食にメトロノーム食べてきたでしょ?」と声が飛んできます。音を読み、そこから弾き慣れていくことでだんだんと自分の表現になるというパターンに陥りがちだった私を開眼させ、いつも大きな喜びを与えてくれるピアニストです。

写真:ブラレイ氏(中央・白シャツを着た男性)、上田晴子氏(右隣)のもとで学ぶクラスメイトたちとともに。


二人目はメナヘム プレスラー氏。2014年、パリ国立高等音楽院でのレコーディングに立ち会う機会に恵まれて以来、度々お会いしてきました。プレスラー氏はボザール・トリオのピアニストとして51年間にわたって活動後、2014年、90才にしてベルリン・フィルハーモニーにソリストデビューしました。今でも必ず毎日四時間の練習をし、一年後のコンサートで弾く曲の楽譜を開く。常に周りの人々を気にかけ愛するのと同じように、一つ一つの音を愛し、注意を払っています。目の前にあるフレーズや音が一番美しいと思えるまで弾き続け、探し当てると目を輝かせてにっこりほほ笑む・・・そこに人生におけるたゆまぬ努力と音楽への愛の姿勢を学びました。プレスラー氏にドビュッシーのラモー礼讃やブラームス作品118、モーツァルトのファンタジーを聴いていただいて以来、ふとすぐ横で彼が目をつむって静かに耳を傾けているような錯覚に陥ることがあります。それは少しでもおざなりに弾いていないかと心が引き締まり、同時に、なにか強いものに見守られているかのような温かな感覚です。

写真:プレスラー氏とともに。


そして三人目は、今年4月、岐阜のサラマンカホールで行われたワークショップで出会ったマリア ジョアン ピレシュ氏です。何より感銘を受けたのはその人間性。彼女が大ホールに立ち続けてきた巨匠ピアニストということを忘れてしまうほど、少女のように素直で繊細、かつ他人に優しかったのです。ピアノを囲みながら、また食卓を共にしながら、彼女の発するほんの一言やそのニュアンスに、長年考え続けて辿りついた哲学や、音楽と共に生きる覚悟を垣間見ました。彼女のアドバイスによって音楽とともによりナチュラルに深く呼吸できるようになり、身体と楽器がもっと近いものになっていく感覚を体感しました。

ピレシュ氏自身の練習を見学したときは、数メートルの距離で目にする彼女の体の動き、息遣い、とても小さな手の独特な使い方から生まれるマジックに身震いしてしまうほどでした。降り注ぐ音以外に何も存在しないかのようなモーツァルトのF durとB durのソナタ、ベートーヴェンソナタ作品111やシューベルトの三つの小品第2番。その場に居合わせた皆が自然と涙していました。

写真:ピレシュ氏とともに。


今20代である私は、時に将来への焦燥に駆られ、己のことばかり考えて、自分のためにやらねばならないことのみを見据えてしまうことがあります。「一番大切なことは他人に、助けが必要な人に、何を与えられるかということ。・・・コンサートで演奏することはスペシャルなことだけれど、例えばこうやってランチすることも、誰かと話をすることも、家事をすることも、すべての日常はコンサートと全く同じレヴェルでスペシャルなのよ。」と言い切って破顔一笑するピレシュ氏や「一生学び続けることだよ」と微笑みながらおっしゃったプレスラー氏の言葉を胸に、ポジティブに前進していきたいと思っています。



写真・文:江崎 萌子
(シャネル・ピグマリオン・デイズ 2018アーティスト)
※コラム 第1回「パリ」はこちらでご覧いただけます。

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