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2018.5.25 FRI

COLUMN

パリ


私にとってもう何年も住んでいるのが全くの嘘のように不可解、かつ時にとんでもないノスタルジーを呼び覚ます街、パリ。私自身について語ろうとするとき、必然的にこの街と向き合うことになり、そしてその難しさに突き当たります。

日本で高校を卒業した年、私はパリで一人暮らしをスタートさせました。小さい頃から仏語教育が導入された学校に通っていたため、その響きには慣れていたものの、外国語というのは勉強したからといってそう簡単に通じるものではないのだと数日にして思い知りました。毎晩落ち込んでは翌朝持ち前の楽観主義で開き直る日々。そして2015年のシャルリー・エブド事件やパリ同時多発テロ体験を経て、自分でも気がつかないうちにこの街で自己の大改革が行われていったようです。



生まれた直後からヨルダンに住み、4歳で帰国すると同時にピアノを始めました。幼稚園で先生を怒らせちゃった、友達に意地悪しちゃった、と夜になると母に泣きつく小心者でした。小学校で途上国の実態や様々な宗教、国連やユニセフの活動について多く学んだことが、世界というものに目を向けるきっかけになったのかもしれません。そして最初は数あるお稽古ごとのひとつでしかなかったピアノがいつしか時間をかけるものとなり、中高一貫校を途中で抜けて、桐朋女子高等学校音楽科に入学しました。音楽を志す仲間ばかりに囲まれて環境が一転、自らの意志でコンサートへ通い、音楽漬け・発見続きののびのびとした毎日を送ります。しかしともすると器用貧乏、表面的になりがちな私の場合、もっともっと厳しい場所に放り出されて悩み、そこから立ち上がった方がいいのではないかと思い、パリ国立高等音楽院の受験を決めました。

それからパリに住んでかれこれ6年目になります。ある平和な一日を切り取ればこのような感じです。

8時  起床、ジョギング、朝食
10時~  自宅で練習
13時~  昼食、授業、散歩、野外か図書館で勉強
18時~  学校にて練習
21時半~0時半 友人と夕食、映画鑑賞 

写真:パリ国立高等音楽院

ヨーロッパに来て以来、音楽を聴きながら、あるいは外の音に耳を傾けながらよく歩く習慣がつきました。練習で行き詰ったとき、深く呼吸することが必要なとき、友人と話したいときに、ブーローニュの森やモンソ―公園、端麗な建物の並ぶ街がうってつけの散歩道となってくれます。

ピアニストにとって、満足に練習できる環境を確保することの難しさは常につきまとう問題です。パリの古くて壁の薄いアパルトマン(マンション)ではそれが特に顕著で、私の場合も、下の階に住むご夫婦から苦情がありました。以来、管理人さんと連絡を取り合い、そのご夫婦が南仏の別荘へ出発するとすぐに教えてもらうことにしています。留守の間は自宅で練習し放題、アパルトマンに戻ってきたときは午前中は顔色を窺いながら練習し、夜は学校に移動して練習。軽やかにモーツァルトを弾いていた朝に「もうちょっと軽めに小さい音で弾けるかしら?」と電話がきたときは頭を抱えましたが、そんな彼らがつい先日、「この前初めて日本に旅行したのよ!素晴らしい国だった!」と顔を輝かせて話してくださり、ほっと胸をなで下ろしました。



パリはどうにも捉えどころのない街です。私が思うにフランスに住む人々は良くも悪くも清濁併せ呑むのが得意。一言でいえば、多様性、かもしれません。メトロには見ているだけで飽きない人々が行き交います。目が飛び出そうなほど奇抜な格好をした女性、泥酔して何が何だか分からなくなった人、スリの一団、固く手を握りあった上品な老夫婦。黙々とアクロバットなダンスを披露する若者に、名も知らぬ楽器を巧みに弾く男性。誰もが我が道を生き、時に間違った差別や偏った思想を起こすこともあるけれど、そこには基本的に多様性における許容があります。この許容の中で、何を発信できるのか・・・。

ガブリエル シャネルもそんなパリに鮮烈に生きたアーティストの一人です。彼女のスピリットを受け継ぐ「シャネル・ピグマリオン・デイズ」というプログラムで、今年6回のリサイタルを支援していただけることがとても嬉しく、支えてくださる方々をはじめ、聴きに来てくださる皆様に心から感謝しています。それぞれのリサイタルが一冊の本のように雄弁であり、お客様がひとりひとり小さな物語を受け取って帰ってくださればと願っています。



写真・文:江崎 萌子
(シャネル・ピグマリオン・デイズ 2018アーティスト)
※コラム第2回は7月に公開予定です。

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