FEATURED
2019.3.1 FRI
Pygmalion 15th
シャネル・ピグマリオン・デイズ 2009
金子 三勇士 インタビュー
今年で15年目を迎えるシャネル・ピグマリオン・デイズ。昨年までに73名の若手音楽家たちがこのプログラムで演奏の経験を積み、アーティストとしての一歩を踏み出してきました。15年という節目を迎え、これまでに参加してくださったアーティストたちの「いま」をご紹介するインタビューシリーズを、2月よりスタートしました。
シリーズ第2回目は2009年参加アーティストであり、現在、国際的なピアニストとして国内外で精力的に活躍されている金子三勇士さんのお話です。
ピグマリオン・デイズでの演奏風景(2009年12月) ©CHANEL NEXUS HALL
金子さんのキャリアの最初期には、シャネル・ピグマリオン・デイズの活動がありました。2009年に全7回のリサイタルをシャネル・ネクサス・ホールで行い、プログラムには当時金子さんが苦手だったというショパンを多く取り上げました。まだ19歳だった金子さんは、もうひとつの故国であるハンガリーと日本を行き来し、日本では現役音大生として勉強も続けられていました。「まだ日本語もそれほど得意ではなかった」当時の記憶を、金子さんのユニークな文化のバックグラウンドとともに振り返っていただきました。
金子 三勇士(ピアノ) Miyuji Kaneko
シャネル・ピグマリオン・デイズ2009 参加アーティスト
1989年日本人の父とハンガリー人の母のもとに生まれる。6歳で単身ハンガリーに渡りバルトーク音楽小学校に入学、2001年からは11歳でハンガリー国立リスト音楽院大学(特別才能育成コース)に入学。2006年に全課程取得とともに帰国、東京音楽大学付属高等学校に編入する。東京音楽大学を首席で卒業、同大学院修了。2008年、バルトーク国際ピアノコンクール優勝の他、数々の国際コンクールで優勝。2011年第12回ホテルオークラ音楽賞、2012年第22回出光音楽賞他を受賞。これまでにゾルタン コチシュ指揮/ハンガリー国立フィルハーモニー管弦楽団、小林研一郎指揮/読売日本交響楽団、ジョナサン ノット指揮/東京交響楽団等と共演。国外でも広く演奏活動を行っている。2018年4月よりNHK-FM「リサイタル・ノヴァ」に支配人としてレギュラー出演。近年はライフワークの一環としてアウトリーチ活動にも積極的に取り組んでいる。キシュマロシュ名誉市民。スタインウェイ・アーティスト。
©T.Tairadate
「演奏家としては、いろいろな意味でスタートが早かったと思います。6歳から16歳まで祖母のいるハンガリーで音楽を勉強していました。ハンガリーは音楽の国とも呼ばれていて、北海道くらいの大きさながら、毎日街のいたるところでコンサートが行われているんです。街に音楽がとけ込んでいる環境から日本に来たとき、コンサートホールやオーケストラの数は多いけれど、日常的に人々の中にクラシック音楽が広がっているかというと、人口のパーセンテージからみると意外にも少ないことに気づきました。もちろん、クラシックはもともと日本にあった文化ではありませんが、ハンガリーで人々が自然にクラシック音楽に親しんでいたように、日本でも若い人たちに知って欲しいと思いました。そのために自分は何ができるのか…もうちょっとハングリー精神をもって活動すべきだと思ったんですね」
現在29歳の金子さんは、同年代の若者と比べてもずっと大人っぽく、語り口も落ち着いています。
「生まれたときからすべてが“×(かける)2”という感じでしたから。もしかしたら人格もそういう感じかも知れません。日本人的な面と、ハンガリー人的な面と…日本でハンガリー語を使うとちょっと不思議な感覚になりますが、向こうで飛行機から降りるとハンガリー人になるんです。逆に日本に到着すると、日本人になる。面白いのは、つねにどちらかの自分を客観的に見られる、コントロールできるということかもしれません。特にデビュー前は、ハンガリーから来た人間としてハンガリーの音楽を紹介したいと思っていました。でも、そればかりではお客様は物足りないでしょうから、なるべくお客様が聴きたいものにも寄り添っていきました。そう思い始めた大きなきっかけが、シャネル・ピグマリオン・デイズでの演奏でした」
シャネル・ピグマリオン・デイズ 10th anniversary festival weekでの演奏風景(2013年12月)
©CHANEL NEXUS HALL
多くの演奏家たちが緊張するという、シャネル・ネクサス・ホールでのお客様との「距離の近さ」も、金子さんはそれほど気にならなかったといいます。
「お客様とは物理的に近いだけではなく、アンケートなどでも直接ご意見をいただいたりしましたし、フェイスブックなどのSNSも普及しはじめた頃だったので、ストレートな感想やアドバイスも受け取りました。シャネルで演奏をしていくにつれ、お食事の席では一流の料理を教えてくださり、お話も、たとえばある職業にはどういう考え方の人がいるのかということを教えてくださる方たちもいました。若い僕に、いいものを見せたり聞かせたりしてくださったんです。そこで、プロフェッショナルであるとはどういうことなのか、学びたければ学べる環境なのだと思いました。『そんなのいいです』って言ってしまえばそれまでですが、出来る限り色々なものと向き合おうという気持ちがあれば、本当にさまざまなご縁をいただける他にはない企画だと思いました」
シャネルでの全7回のリサイタルのプログラムにショパンの作品を取り入れたのには、深い理由があったといいます。
「それまでずっとショパンをやっていなかった理由は、自分には向いていないのではないか…?という先入観があったからです。多分、若かったんですね。幼くて、ショパンの奥深さとか、時には切ない気持ちというものが理解できる年齢ではありませんでした。いざ色々と弾いてみると、好きな作品がどんどん増えていきました。そこでまた発見がありまして、僕がショパンを弾くとき、どちらかというとショパンの親友であったリストから見た『ショパンはこんな感じだったかな』という視点になると思うんです。ずっとポーランドで生まれ育った人がショパンのマズルカ(ポーランドの民族舞踊をもとに作曲された作品)などを弾くと、なんとなくショパンの跡を継いでいる感じになると思うんですが、僕はそれを再現できない。ポーランドにいたわけではないので…。だとしたら、どうやってショパンを紹介できるだろうと考えたとき、僕の場合、ハンガリーにずっといたので、リストには触れてきました。だから、リストから見たショパンという視点が持てるんです」
「実際のところリストは、ショパンが亡くなってからスランプに陥って、どうしたらいいか分からない時期があったそうです。それをどう乗り越えたかというと、ある時期から『自分は二人分やっていこう』と思ったらしいのです。そこからリストの音楽は、文学、哲学、宗教を含んだ深い世界になっていって。それまでは繊細なショパンと技巧的なリストという、役割分担みたいなものもあったと思うのですが、リストは二人分を生きようと決意したんですね」
©T.Tairadate
リストとバルトークは金子さんのルーツとつながる重要な作曲家。そこにショパンを新たに加えたことで、音楽全般についての洞察もより深まったのではないでしょうか。2010年には5年に一度開催されるショパン国際ピアノ・コンクールに、若き金子さんも大きな期待を寄せていました。
「一時期はコンクールに賭けてみようと思いましたが、どれも書類審査を通過出来ず、残念ながら結果には結びつきませんでした。イスラエルのテルアビブで開催されたルービンシュタイン国際ピアノコンクールでは、事前審査を通過してようやく現地入りすることが出来るというときに、直前にプロのオーケストラとのコンサートがブッキングされたので、諦めました。なかなか縁がなく、どうもコンクール向きではないんですね」
コンクールはときに演奏家に輝かしい未来をプレゼントしますが、コンクールの結果に左右されすぎるのも、演奏家にとっては健全な事態とは言い難いのかも知れません。
「コンクール審査員のお弟子さんになろうとか、そこまではやろうと思いませんし、そういうことにエネルギーを使うのだったらプロの演奏活動にエネルギー注ぎたい。僕はおとなしい演奏が出来ないタイプなので…昔、もうお亡くなりになりましたが、ブタペスト出身の世界的ピアニスト ゾルターン コチシュに45分間だけ演奏をみていただきました。それが僕にとって一番のレッスンで、色々言われたことの中で一番心に残っているのが、『リストにブレーキかけてどうするの?』という言葉でした。コンクールに出ると、ミスせず正確に弾くことばかりを考えてしまって、演奏にブレーキをかけてしまうので、自分で納得いく演奏が出来ないんです」
自分の演奏を楽しみに来てくださるお客様の前で、真剣勝負の演奏をしなければならないシャネル・ネクサス・ホールでの演奏会は、より「現場感」があり、ピアニストとして鍛えられたと語る金子さん。
「お客さんのリアクションは正直ですし…当時19歳の僕にとって、最大の挑戦の場でした。自分と向き合い、お客さんとも向き合い、作品とも向き合い…トークも最初は日本語がおぼつかなかったけれど、徐々にお客さんに自分のことを理解してもらえるようになった実感があります」
「今やっているNHKのラジオ番組も、シャネルで演奏の合間にトークをしていた経験が原点にあると思います(2018年4月よりNHK-FM「リサイタル・ノヴァ」の番組司会である支配人に就任)。クラシック音楽の若い演奏者を紹介する番組で、毎回違った若手演奏家をゲストとしてお招きし、演奏やトークを通じて、彼らの魅力を広く伝えています。毎回の収録で台本はありますが、実際にゲストとお話ししていく中で、表情を見ながら楽しく話せる話題を考えたり、話しやすい雰囲気を作り出せるようにしています。演奏家それぞれの魅力や音楽にかける想いをリスナーに伝えたいという気持ちがあるんです。このようにピアノを弾く以外のお仕事も多いので、地方のコンサートの主催者さんからは『金子さんて、演奏もしてくださるんでしょうか』と質問されることもありますが(笑)。語ることは好きですね」
NHK-FM「リサイタル・ノヴァ」収録風景
撮影協力:NHK ©T.Tairadate
現在の演奏活動は世界各国に及び、日本、ハンガリーはもちろん、アメリカ、ドイツ、オーストリア、スイス、ギリシャ、ルーマニア、チェコ、ポーランド、カザフスタンにも訪れている金子さん。カザフスタンはどんな国だったのでしょうか。
「日本人のこともハンガリー人のことも自分たちの親戚だと思っている人たちなんです。実際、カザフスタンには僕みたいな顔の人たちがたくさんいましたね(笑)。立派な音楽ホールがたくさんありました。新しい首都を先に作って、そこに人を集めていく計画らしいのですが、立派なホールがいくつもあるのに、演奏会は何も決まっていない状態。僕は第1回シルクロード国際音楽祭に出演しましたが、このような企画はまだまだ少なく、世界のエージェントもまだあまり注目していないようでした」
めまぐるしく変化していくアジアのクラシック情勢の中で、若くして「世界」を知った金子さんはリーダーシップの役割も担っていくのではないでしょうか。
©T.Tairadate
「2019年は日本とハンガリーの外交関係開設150周年なので、演奏会は多くなると思います。リストの生涯を見て思いますが、彼は闘って強くなっていったんです。ヨーロッパでの社交的な生活や旅を経験して、色々なものを見て刺激を受けて、たくましくなっていった。音楽の世界は本当に、甘くないと思います。これからこの道を歩む人たちには、そのことを知って欲しいですね。具体的な話をしますと、つい一か月半前にオーケストラとの演奏を依頼されましたが、なんと6日間で完成しなければならない。作品自体、とても難解で過酷なものです。この大曲を仕上げるのに6日間…でも、どんなに忙しくても、それをどうにかする余裕がないと、やっていけないと思います。そういうキャパシティをもっている演奏家は多いですし、ちょっとやそっとでは潰れないタフな人が多いですからね」
始終フレンドリーな会話の中に「プロフェッショナル」という単語がいくつも表れ、金子さんが生きている世界の厳しさが垣間見えます。二つの文化のバックグラウンドをもち、世界に音楽という宝を広めようとする金子さん。誠実な人柄と若くして経験したさまざまなことが糧となり、今の彼は演奏家としても、若手演奏家たちのリーダーとしても有望なアーティストに成長していました。
取材・文:小田島 久恵(音楽ライター)