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2017.7.11 TUE
INTERVIEW
シャネル・ピグマリオン・デイズ 2017 参加アーティスト
毛利 文香(ヴァイオリン)インタビュー
現在ドイツ、クロンベルクアカデミーに留学中のヴァイオリニスト、毛利文香さん。1994年生まれ、若い世代の演奏家の中でもひときわ活躍めざましく、多数の国際コンクールで優秀な成績を収め、2016年のデビュー・リサイタルでは、鮮やかな才能を聴衆に印象付けました。シャネル・ピグマリオン・デイズでは全6回の公演すべてにベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタを取り入れ、知的で情熱的な演奏を繰り広げています。インタビューは、現在ドイツに留学中の毛利さんとスカイプをつないで行われ、現地は朝の9時半ながら、ご本人は元気いっぱい。大好きな音楽のこと、留学生活のことなどを語ってくれました。
―――最初に音楽に魅了されたきっかけは何だったか覚えていますか?
当時の記憶ははっきりとはないのですが、3歳半からヴァイオリンのレッスンを始めました。父がアマチュアのオーケストラに入っていて、私にもやらせたかったのだそうです。練習熱心な子供ではなく、友達と遊んでばかりいた記憶がありますね。小学3年生のときにピアノも始めましたが、全然自分に向いていなくてすぐにやめてしまいました。弾けたらいいなあという憧れはあるんですけど…たくさん音が出せるし羨ましい(笑)。でも、ピアノは本当に弾けないですね。
―――いわゆる英才教育!という感じではありませんでしたか?
小学生のときは本当に練習していなかったです。臨海学校とか委員会活動とか積極的に参加するほうで、小学校では児童会長をやり、中学でも委員会活動を続けていました。壁新聞を作ったりもしていたなぁ…。スポーツは水泳をやっていて、それにも打ち込んでいました。
―――すごく健全ですね。先生はあまり厳しいタイプではなかった?
父が言うには、幼稚園の頃まで結構難しい曲を弾いていたらしいのですが、小学1年生の頃から水野佐知香先生について、もう一度基礎を徹底的にやり直す感じになって、基礎練習の本をいっぱい積んでいました。毎回少しずつやって、クリアしたらシールをもらって…そんな感じでエチュードはたくさんやりましたね。
―――基礎練習はストイックな精神を求められますよね。それまで自由に難しい曲を弾いていたのに、嫌にはならなかったんですか?
やめたいと思ったことはなかったですね。うちは父が厳しくて、私が幼い頃、土日はずっと練習を見ていたんです。それが毎日じゃなくて良かったです、平日は父も仕事があるので(笑)。正直、練習が嫌だなぁと思うことはありましたけど、楽器をやめたいと思ったことは一度もなかったです。
―――10代の頃からコンクールを受けられていて、本格的にプロを目指そうと思ったのはいつ頃だったのですか?
目標があると頑張れるので、コンクールは当たり前のように毎年受けていました。小学校の頃は中学受験のために塾にも通っていましたが、先生から「もっとヴァイオリンに集中したほうがいい」とアドバイスをいただき、塾はやめてしまいました。高校は洗足の普通科に進学しましたが、同時に音楽の勉強もしたほうがいいと思って、音楽を専門的に学べる桐朋のソリスト・ディプロマ・コースに通ったんですよ。
―――現在は慶應義塾大学文学部に在籍されていますね。
はい、慶應ではドイツ文学を専攻しています。音大に行かなかったのは、すでに高校生の時にダブル・スクールのような形で桐朋で勉強をしていたので、そこからまた音大に入り直すということは考えなかったからです。
―――すべてが自然体の人生に見えます。2012年のソウル国際音楽コンクールでは最年少で優勝されましたが、これは大きな転機でしたか?
そうですね。国際コンクールを受けるのも初めてだったので、チェレンジという意識しかありませんでした。他にどんなヴァイオリニストの方々がいるのか、同年代がどんなふうに弾くのか、すごく興味がありました。すべてが刺激的でしたね。コンクール中はホテルに滞在していたのですが、途中から母が帰国したので一人で一日のリズムを作るということを学びました。期間中に誕生日が来たのを覚えています。別に複雑なことは考えず、気楽に弾いたので、優勝という結果にはすごく驚きました。
―――大物のエピソードを感じます…そのあとすぐにハノーファー国際ヴァイオリン・コンクールを受け、そして2015年にはパガニーニ国際ヴァイオリンコンクールで2位に輝きました。
ヨーロッパのコンクールなので、さらに参加者のレベルが高く、ソウル以上に刺激的でした。色々な参加者の音を聴いて、こんな演奏もあるんだ!と日々驚きの連続でした。特にパガニーニ国際ヴァイオリンコンクールでは、自分でもパガニーニの作品を全部最初からやり直すことができて、いい勉強になりました。あとは、ハノーファーのコンクールの時は、期間中にお世話になったホストファミリーがすごくいい方で、コンクール後も毎年手紙を交換しています。でも、なかなか再会する機会がなくて…ようやく今年の1月にお会いできたんです。そのファミリーはまた今年の夏にパーティに呼んでくださり、そこでも演奏する予定なんです。
―――なんだか、コンクールは試練というより、毛利さんの人生を豊かにしてきたように思えます。パガニーニと同じ年には、エリザベート王妃国際音楽コンクールで6位に入賞もされていますね。
エリザベートは参加者が多くて、自分の出番まですごく時間があって、練習もするんですけど、観光をしたり音楽以外にも色々と楽しめました。このときのホストファミリーも最高で(笑)、お子さんが5人いて、みんな趣味で楽器をやっているんです。賑やかな家族で、奥様も旦那様もとても親切でした。ファイナルの新曲を勉強するために、チャペルに籠もって12人のファイナリストたちと生活を共にしたのもいい経験でした。携帯やパソコンなどすべて取り上げられて、楽譜だけを渡されて譜読みを始めるんです。食事はみんなと一緒で…森の中にあるチャペルで、そこからホールに移動してオケとリハーサルをして、終わるとようやくホストファミリーのもとへ帰れるという。
―――ちょっと秘密結社的な香りもする…それは経験した人じゃないと分からない世界ですね。
長い時間を一緒に過ごしてきたので、そのときのファイナルの仲間とは今でも仲良しなんですよ。
―――絆が生まれますよね…。さて、シャネル・ピグマリオン・デイズでは、全6回すべての公演でベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタを演奏されますが、早くからこの計画は決めていたのですか?
2015年くらいまで毎年のようにコンクールを受けていたので、いつも同じ曲ばかり弾いていて、レパートリーを広げたいという気持ちがありました。自分では意識していなかったのですが、2016年はフランス系のものを弾くことが多くて、2017年はせっかく全6回のリサイタルという貴重な機会をいただいたので、ドイツものを増やしていこうと思いました。今、ドイツに留学しているので、毎回ベートーヴェンを入れるという挑戦をしてみたかったんです。まだ勉強中ですが、やはり深いです…ソナタ1曲だけでも、基礎的な部分から表現的な部分まで、たくさんのことを学べるんです。和音が変化していくところとか、ゆっくりじっくり勉強していくととても感動しますし、本当に避けては通れない作曲家だと思います。
―――毛利さんが凄いと思うのは、そうした緻密な勉強の上に、とても大きな表現者としての魅力が乗っていて、音楽が生き生きと躍動しているところですね。
ベートーヴェンには自由もあると思います。4月に弾いたスプリング・ソナタは、やはり春らしさとか、春が来た喜びが書かれていて。ドイツの冬は暗いので、ドイツ人にとって長い冬の後の春が来た喜びというのは、とても大きいような気がします。ドイツ生活を経験した上でこの作品と向き合うと、『ああ、そう感じていたんだ!』と思います。推測ですけど、練習していても喜びを感じるんです。
―――それはベートーヴェンの本質でもあるのではないかと思います。自然から感じる歓喜というのは…。ベートーヴェンと他の作曲家との組み合わせはどのように決めていったのですか?
自分がこれまで取り組んだ曲と、これからやりたい曲、改めて学び直したい曲をリストアップして、調性などもうまく合ったものをプログラミングしていきました。先にベートーヴェンを決めて、後からそれぞれの作曲家をセレクトしていったんです。
―――シャネル・ネクサスホールはお客さんとの距離がとても近いですが、演奏するアーティストとしては緊張しますか?
心地よい緊張感がありますね。照明の暗さも特徴的だし、何とも言えない雰囲気があります。なによりもお客さんとの距離が近くて毎回とても集中して聴いてくださるのがわかるので、それがすごくいいなと思います。
―――本番のヘアメイクは、プロフィール写真の毛利さんとは少し違うイメージで登場されますが、そうした「変身」も楽しまれていますか?
とても新鮮ですね。まわりも自分も驚いています。演奏中もそのことを考えているわけではないのですが(笑)。コンサートでのトークも、最初は自己紹介を兼ねたことをしゃべらせていただいたのですが、これからは何を喋ろうか、そこが悩みどころです。
―――とても自然にトークされていました。
本当に、小学校低学年まではものすごくシャイで、大勢の前に立つような子供ではなかったんです。海外で勉強して思うのは、まだまだ自分には勇気がないということです。語学もまだペラペラではないし…ドイツでは学生たちも自分の意見をすごくはっきりと持っていて、自分の国の政治や歴史のことをいくらでも語れるんです。今は4人の留学生と一緒に住んでいるのですが、これまでに出会ったことのないタイプで、個性的で、勇気をもらっています。自分を磨いて、日々学んだ色々なことを演奏に反映していきたいです。一度コンサートに来てくださったお客さんから『また聴いてみたいな』と思ってもらえるアーティストになりたいですね。
2017年5月
取材・文: 小田島 久恵(音楽ライター)