NEWS
2017.6.16 FRI
INTERVIEW
シャネル・ピグマリオン・デイズ 2017 参加アーティスト
笹沼 樹(チェロ)インタビュー
1994年生まれ。恵まれた体格を生かした伸びやかでパッショネイティヴな演奏で、毎回聴衆を湧かせている、笹沼樹さん。彼が楽器を操る姿を見ていると、チェロがそれほど大きな楽器に見えてこないのが不思議です。現在22歳、10代の頃から多数のチェロ・コンクールで優秀な成績を収め、2016年には弦楽四重奏の登竜門と呼ばれるミュンヘン国際音楽コンクールで第3位という好成績を残してきました。シャネル・ピグマリオン・デイズではソリストとして、ショパンのチェロ・ソナタやクライスラー、ピアソラまで多彩に取り組むと同時に、秋の室内楽シリーズにも登場します。
―――実はお会いする前にYOUTUBEで演奏されている姿を拝見しましたが、縮尺がよくわからなくて…とても身長が高いのですね。
縮尺(笑)。中学校の時に競泳を3年間やっていまして、そこで一気に伸びました。190センチあります。チェロにはじめて触れたのは7歳のときです。通っていた学習院のオーケストラ部を見て、弦楽器が本当にかっこよく見えたので、最初はヴァイオリンに惹かれたんですが、ヴァイオリンは2歳、3歳から始めている人が多くて、既に弾けている人が多い。実は僕が入ったオケにはヴィオラはなくて、チェロを見つけた瞬間「これだ」と思いました(笑)。見た目にもかっこいいし、これから頑張っても一番になれるのではないかと思いました。とにかく合奏するのが好きで、一番最初から出来上がるまでみんなで取り組んでいくことが楽しかったんです。9歳からは、今もお世話になっているN響の第1コンサートマスター 篠崎史紀さんのジュニア・オーケストラに入って、N響のトレーナーの方に色々習いました。ジュニア・オーケストラといってもチャイコフスキーとかブラームスとかの大きな曲をやっていたので、結構本格的でした。
―――習い始めたら、一気にプロの人たちと触れ合うようになって、大人の世界に溶け込んでいったんですね。プロ意識が芽生えるのがすごく早かった。
何しろ人前で自分の音楽を聴いてもらえるのが嬉しくて…オーケストラの中でもトップに座ってみんなを引っ張っていくポジションでしたし。他の楽器とコンタクトをとりながらという作業が多かったので、そこに楽しさとやり甲斐を感じていました。それをプロ意識と呼んでいいのかわかりませんが(笑)。都響の首席の古川展生さんからも習っていたことがありまして、古川さんが企画する銀座のヤマハホールで開催されている「チェロ・フェスタ」、プロのチェリストと子供が混じってチェロ・アンサンブルをやるというイベントに参加したこともありました。音楽家のカッコいいところばかり見て育ったタイプだと思います。
―――これまで色々な先生に指導を受けられてきて、「あの先生に言われたあの言葉が一番心に残っている」みたいな特別な言葉はありますか?
…(少し考え込んで)この10年間は堤剛先生に習っていますが、堤先生の言葉はたった一言でもすごく入ってくるんです。悩んでいたり、考えが凝り固まったりしているときに、先生のほんの一言が色んなことをときほぐしてくれます。僕が演奏家としてやっていくと決めたのが中学3年のときだったんですが、堤先生には中学2年生くらいから話を聞いていただく機会があり、その色々な会話が踏み切れた理由です。今でも、新たに挑戦したいことや、何かを計画するときはいつも堤先生に相談します。
―――演奏に関してはどのような言葉をかけてくださるのですか?
先生が演奏を聴いて下さる様子を見て、自然とこちらが色々察してしまう感じですね。強い言葉はおっしゃらないので。「今のは違う」「今のはなかなかいい線をいってる」というのは、表情と雰囲気でわかってしまいます。具体的なアドバイスもくださりますよ。左手のパッセージがうまく弾けないところがあって、『そこは右手に意識を置いてみなさい』と先生に言われてそうしたら、ものすごくよく弾けたこともありました。指のここに力が入ってしまう、というと『問題は肩だ』と教えてくださったり。音楽のことをものすごく幅広くとらえてらっしゃる方なので、学んでいてすごく勉強になります。
―――笹沼さんはカルテットとしての活動にも積極的に取り組まれていて、2016年にはカルテットの登竜門であるミュンヘン国際音楽コンクールで第3位という優秀な成績を収めました。
大学1年生の時に東京クァルテットの磯村和英先生に習いはじめ、先生と出会えたことが「僕もカルテットをやってみよう」と思えたきっかけです。ミュンヘンでは他の参加者は結成10年というベテランが大方でしたけれど、僕らはコンクールの1年前くらいに結成された組で、最初からレパートリーがあったわけではないので、課題曲の候補を聴いて「これはいいね」と弾きたい曲を選んでいったんです。本選ではバルトークの『弦楽四重奏曲第4番』とシューベルトの『死と乙女』を演奏しました。よい成績をいただけたので、カルテットとしても今後の活動を続けていく予定です。
―――国際コンクールでいい成績をとると、留学という話も出てきそうですが…。
留学という形になるかわからないですが、今色々な国で演奏をしていますし、バランスよく活動できたらと思っています。いい先生もたくさんいますしね。ベルリンにもフランスにもニューヨークにも…堤先生からも離れたくないですし。ドイツのフライブルクには語学留学で2か月ほど滞在したことがあるのですが、現地のフライブルク大学の学生とウマがあって、楽しく飲み歩いたりしていました(笑)。ドイツは昔から自分に合っていると思って、大学も独文科を専攻したんです。
―――マスタークラスなどは頻繁に受けられているのですか?
ラルフ カーシュバウム先生の主宰する、ピアティゴルスキー先生の弟子のチェリストたちが集まる音楽祭があるのですが、もう「チェリストといえばこの人」というような…ヨーヨー マやミッシャ マイスキーも大集結するすごいイベントで、そこでコンサートもやらせていただいたのですが、マスタークラスも受けたんです。ゲリンガスさんに学んだイェンス=ペーター マインツさんに指導を受けて驚いたのは、ヨーロッパの方は「そこまで知っているのか」という知識を持っていて、僕がそれまで勉強してきたことと対照的なものを持っていることでした。ひとつのパッセージに関しても「ブラームスだからこうです」「次に出てくるフレーズはこう弾きます」「ビブラートの回数は…」と、言ってみれば重箱の隅をつつくように学んでいくんです。
―――偉大な演奏家から指導を受けて、それを全部吸収して演奏に生かしているのですね。
僕が尊敬している演奏家は、自分を持っている方たちが多い。オリジナルリティそのもの、という人たちばかりですね。それをしっかり受け止めて、偏ったり傾いたりしないようにして学んでいきたいです。
―――シャネル・ピグマリオン・デイズではすごい競争率を勝ち抜いてアーティストに選ばれました。このシリーズではどんなご自分を伝えたいですか?
ミュンヘンのコンクールでは、お客さんが真剣に演奏を聴いてくださるのを肌で感じて、入賞するよりも何よりもまず、目の前の聴衆のために心をこめて演奏しなければならないと感じました。シャネル・ネクサス・ホールで演奏していると、同じ感覚が蘇ってくるんです。客席との距離感が近いんですね。お客さんの温かい気配を感じながら、一回ごとにひとつの世界を聴かせていければと思っています。
2017年4月
取材・文: 小田島 久恵(音楽ライター)