FEATURED
2019.3.19 TUE
Pygmalion
シャネル・ピグマリオン・デイズ 2019
久末 航 インタビュー(前編)
©T.Tairadate
滋賀県立膳所高等学校を卒業後、ピアノを勉強するためにドイツへ渡った久末航さん。昨年の夏、紀尾井ホールでの演奏が東京で初めての演奏会となり、地元だけでなく日本各地での演奏機会を増やしていきたい、自分の可能性を発掘したいという想いから、シャネル・ピグマリオン・デイズへの挑戦を決めました。これまでに久末さんはどのような人生の選択をし、ピアノの道に進むようになったのでしょうか。久末さんにお話をお伺いしました。
久末 航(ピアノ)Wataru Hisasue
シャネル・ピグマリオン・デイズ2019 参加アーティスト
14 歳で京都青山音楽記念館バロックザールにてピアノリサイタルを催し、2009 年度青山音楽賞新人賞を史上最年少で受賞。第7 回リヨン国際ピアノコンクール第1位および聴衆賞、またドイツで最も歴史あるコンクール、メンデルスゾーン全ドイツ音楽大学コンクールでは第1位およびDeutscher Pianistenpreis賞を受賞。2017 年には、世界的に権威ある第66 回ミュンヘン国際音楽コンクールで第3位、および委嘱作品の最も優れた解釈に対して贈られる特別賞を受賞し、一躍注目を浴びる。滋賀県立膳所高等学校卒業後、渡独。ドイツ・フライブルク音楽大学にてギレアド ミショリ氏に師事し、最優秀の成績で卒業。パリ国立高等音楽・舞踊学校での交換留学を経て、ベルリン芸術大学大学院にてパスカル ドゥヴァイヨン氏に師事。現在同大学院2年次在学中、クラウス ヘルヴィッヒ氏のもとで研鑽を積む。
- ピアノをはじめたきっかけを教えてください
両親が音楽好きで、クラシックだけじゃなくて、ジャズやロックなどいろいろな音楽を聴いていたそうです。昔から家の中で音楽が流れている環境があったのと、3-4歳ぐらいからおもちゃのキーボードのピアノに夢中で、『チューリップ』や『どんぐりころころ』、日本の童謡に自分なりに和音や伴奏をつけたりして弾いていたみたいです。
電子ピアノに触れていた5歳の時にモーツァルトの『トルコ行進曲』と出会い、この曲をどうしても弾きたいと言い出したそうで、近所のピアノ教室に通うことになりました。両親にはたまに練習しなさいと言われるくらいで、音楽家ではないので、スパルタでもなく。小学6年生までは本当にもう自由気ままに、自分の好きなように好きな曲を弾いてましたね。
- 本格的にピアノを学ぶようになったのはいつ頃からでしょうか
小学6年生の後半に、先生が変わり、本格的にピアノを勉強する環境に移りました。ちょうどこの頃、自分の中で「覚悟」じゃないですけど、ピアノに対して「やる気」を持ちはじめた時期だったと思います。真面目にピアノに向き合うというか、ピアノをしっかり勉強するというか。このときから、エチュード(練習曲)などに集中して取り組むようになり、ピアノのコンクールも積極的に受けるようになりました。
- 音楽高校ではなく、普通高校に進学しましたね
もともと色々なことに好奇心の強いタイプで。だから両親や周りの方たちが、高校までは「様々なことを幅広く学んだ方がいい」「色々な世界に触れた方がいい」とアドバイスしてくださったことが大きく、普通高校に進学しました。高校入学後も、ピアノ練習よりもむしろ、物理や化学、数学など、好きな理系科目に力を入れていました。
- 日本の音大進学ではなく、ドイツ留学を決心した理由を教えてください
音楽大学に行ったら音楽の道しかないのでは・・・果たして自分はそこまでの気持ちが今あるのか、すごく悩みました。普通の大学に行きながらピアノを習ってる方も多いので、可能性として、そういう生活も十分に「ありだな」と思いました。そんな風に自分の進路に悩んでいた矢先の3月下旬頃だったと思います。いきなり自宅に一本の電話がかかってきて。中1の時に大阪で一度だけピアノのマスタークラスを受けた、ギレアド ミショリ先生でした。たまたま京都に滞在されており、「そういえばワタルは元気にしてるの?」と話題になったそうで、電話をくださったんです。
- 運命的な再会!
そうなんです。マスタークラスを受けたとき、すごく気に入ってくださっていたのは覚えていて、名刺を交換しましたが、それ以来、ほとんど連絡は取りあっていませんでした。「今京都にいるから一緒にご飯を食べようよ」という電話で、すぐに京都市内で会うことになりました。そこでヨーロッパでの音楽の勉強の話や、ドイツの音大の話を聞いて、そのときに初めてひとつの選択肢として留学を意識しました。
シャネルでの初公演(2/16) ©T.Tairadate
-ミショリ先生との再会でドイツ留学を決めたのですね
そうですね。ミショリ先生から「ワタルはこれからどうするの?」と聞かれたとき「実は悩んでるんです…」と正直に話したら、「じゃあフライブルクにおいでよ!」と背中を押す一言を言ってくださったんです。でも冷静に考えたら…ドイツに行くとしたら、今からドイツ語を一から勉強して、音楽理論や和声の勉強など音大入試のために準備をしなければならない。なので、先生にはあと1年、準備のために待ってくださいとお伝えしたのですが、「ピアノをドイツで勉強するなら出来るだけ早いほうがいい」とおっしゃられて。その言葉を信じて、高校を卒業した2013年の7月にドイツのフライブルク音楽大学を受験し、無事満点合格をいただいて2013年の秋に入学しました。本当に自分でも信じられないほどの急展開で、人生が180度変わりました。
- 思い切った決断に、ご家族は反対しませんでしたか
びっくり仰天していました。でも本当に嬉しかったのは、父も母も全然消極的な反応ではなく、むしろ「じゃあ、行ってみる?」と背中を押してくれて、すごく応援してくれたんですよね。自分のしたいことをしたいようにさせてくれる両親だと思うので、本当にありがたく幸せなことだとすごく思います。
後編に続きます。
取材・文/シャネル・ネクサス・ホール