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FEATURED

2019.4.1 MON

Pygmalion 15th

シャネル・ピグマリオン・デイズ 2008
矢野 玲子 インタビュー

今年で15年目を迎えたシャネル・ピグマリオン・デイズ。昨年までに73名の若手音楽家たちがこのプログラムで演奏の経験を積み、アーティストとしての一歩を踏み出してきました。15年という節目を迎え、これまでに参加してくださったアーティストたちの「いま」をご紹介するインタビューシリーズを、2月よりスタートしました。

シリーズ第3回目は、シャネル・ピグマリオン・デイズ2008年参加アーティストとして全6回のリサイタルを行い、室内楽シリーズにも頻繁に登場されているヴァイオリニストの矢野玲子さんです。現在ルクセンブルク・フィルハーモニー管弦楽団の第2ソリストとして活躍されており、国際的なキャリアを積まれ、欧州の音楽祭にも数多く招待されている矢野さんは、お話をするときも太陽のように明るく、華やかな雰囲気に包まれています。若手実力派として早くから注目を集めていた矢野さんに、現在に至るまでの「ヴァイオリンとともに歩んだ旅」を語っていただきました。

© T. Tairadate

 


 

 

矢野 玲子(ヴァイオリン) Ryoko Yano
シャネル・ピグマリオン・デイズ2008 参加アーティスト

東京藝術大学を経て、フランス政府給費生としてパリ国立高等音楽院入学。ティボール・ヴァルガ国際コンクール優勝及び新曲特別賞受賞、メットローのヴァイオリン協奏曲第3番を世界初演、50ヶ国で放映された。ジュネーヴ国際コンクール最高位、聴衆賞、Coup de cœurBreguet賞を受賞し、ヨーロッパ各地へのリサイタル、受賞者演奏会に招待された。これまでに、ブランデンブルグ=フランクフルト国立管弦楽団、スイス・ロマンド管弦楽団、また日本国内でも小泉和裕指揮・東京都交響楽団、アルミンク指揮・新日本フィルハーモニー交響楽団、小林研一郎指揮・日本フィルハーモニー交響楽団、小泉和裕指揮・仙台フィルハーモニー管弦楽団のコンサートなどに出演。2017年にルクセンブルク・フィルハーモニー管弦楽団の第2ソリストに就任。

©T. Tairadate

「ルクセンブルクとフランスの国境近くのティオンヴィルという、恐らく誰も知らない町に住んでいます(笑)。ドイツ語では違う発音になるらしいのですが…。ルクセンブルク・フィルはとてもコスモポリタンなオーケストラで団員は98人ほどですが、一時期は約50か国の国籍の団員がいたこともあったとか。フランス人、ベルギー人が多くて、日本人は私も含めて3人。お客様は結構裕福な感じで、お洒落をしてコンサートに来られる方も多く、その点では日本に似た雰囲気です。名門ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団出身のグスターボ ヒメノ氏が音楽監督で、定期公演はほぼ満員になっていますね」

ヨーロッパでの生活は19年目に入るという矢野さん。フランス語で冗談も語れる矢野さん自身が、コスモポリタンと呼ぶにふさわしい存在です。

「ルクセンブルク・フィルの前にはフランスのアルザス地方のミュールズという町のシンフォニー・オーケストラで第2ヴァイオリンのリーダーをしばらくやっていました。年間5つのオペラを演奏するというオーケストラで、今よりフリーランスのような活動をしていましたね。フランスは、ドイツのようにそれぞれの州都に優秀なオーケストラとオペラハウスがあるという国ではなく、かなり中央集権的だと思います。パリがあってリヨンがあって、その他の町があるという序列です。オペラでは、パリの次にストラスブール、次にボルドー、マルセイユ…という格付けらしいですね。ルクセンブルクは公用語がフランス語ですし、音楽的にもフランス系だと思います。エマニュエル クリヴィヌが10年近く音楽監督を務めていたことも大きいですね」

©T.Tairadate

ヴァイオリンをはじめたのは4歳、とても負けず嫌いの女の子だったといいます。

「音楽家の家系ではないので、プロの演奏家になるとは思っていませんでした。ヴァイオリンは『あ、あれやりたい』と思って習い始めただけで、もともと単なる趣味だったんです。でも、もともと負けん気は強いほうなので、下手に弾くより上手く弾いたほうがいいと思って練習したんですね。30点とってカッコ悪いと言われるより、100点とって『やった!』と言ってるほうが気性に合ってるというか(笑)」

「世界三大コンクールのひとつのチャイコフスキー国際コンクールのジュニア部門、若い音楽家のためのチャイコフスキー国際コンクールを10代のときに受けました。そのとき学業をおろそかにしてしまったので、ヴァイオリンは上手くなったかも知れませんが、学校の成績は悪くなってしまい…。当時中学2年生で、そろそろ高校受験もあるし、ここで数学の遅れを取り戻すのは難しいものがあるなと思って、じゃあヴァイオリンだけにしてしまいましょう!という流れになったんです(笑)」

©T. Tairadate

ジュネーヴ国際音楽コンクール最高位をはじめ、国際コンクールで頭角を現し、東京藝術大学を経て、パリ国立音楽院に留学。フランスでの暮らしも長くなった矢野さんにとって、日本とフランスとの違いはどのようなものなのか訊ねました。

「フランスという国は、フランス語を喋れない人に対しては容赦ないところがありますね。初めはパリの人が偉そうに見えて、日本だったら考えられないようなぶっきらぼうな対応をされ、驚いてばかりでした。当初は長く生活するつもりはなかったので、フランス語学習は亀のようにのろのろだったんですよ」

「音楽的には、フランスは『自分らしくやっていいんだよね』と思わせてくれる環境があります。先生に言われた通りにきちんと演奏するのではなく、あなたがしたいことをやって、という感じです。例えば、日本だったら『あれは変』というようなものが、個性として認められることもあります。説得力があれば、わざと低めに弾いたり高めに弾いたりしても、解釈としてとらえてもらえるところがあります。わざと音程を外すというのも、個性なんですよね。説得力がないとただ外しているように聴こえるけれど、きら星がきらめいたような表現なら、それは個性になるんです」

減点法で採点されることが多い日本と、加点法で評価されるフランス、という違いに気づき、次第にのびのびとした個性を取り戻していったといいます。

ヨーロッパでの演奏会後

「ジャン=ジャック カントロフ先生からはたくさんのことを教えていただきました。例えば、四角四面に綺麗に音をとって弾いている弟子がいました。その弟子は私だったとして(笑)、先生は『ここはこうやって弾いてみたらいいんじゃない?』とアイデアをくださるんです。そのときに『あくまで私のアイデアだから、もし好きだったらあなたの演奏に取り入れてみて。好きじゃなかったら、取り入れなくてもいいから』というアドバイスの仕方なんです。『ちょっと行き詰まっているんだったら、こういうのもいいんじゃない?』と。私自身、そのとき常識はずれな演奏はしていなかったと思いますが、説得力があれば非常識なものでも受け入れられたと思います。自分の中に確固としたものがあれば、説得力になるんです。フランスではそういうことを学びました」

2008年にシャネル・ピグマリオン・デイズに参加したとき、矢野さんはすでにフランスを拠点にし、日本ではソリストとしてリサイタルやコンチェルトで活躍されていました。

「2008年はフランスと日本を8往復しました。プログラミングに関しては、マニア路線を極める人みたいになっていましたね。プロコフィエフのヴァイオリン・ソナタは1番と2番を弾きましたが、一般的に10年前は今より演奏される機会が少なかったように思います。ショスタコーヴィチのソナタやシューベルトのファンタジーもやりましたし、ヴァイオリニストにとって出来れば人前で弾くのを避けたいと思うような曲ばかりを集めていました。海外との行き来は大変でしたが、リサイタルは2週連続で行うなど、帰国中のスケジュールにシャネルが配慮してくださった有難い記憶があります」

2017年6月シャネル室内楽コンサートでの演奏風景©小原泰広

シャネル・ネクサス・ホールでの演奏会で印象に残っていることは、「トーク」だったと振り返る矢野さん。

「マイクを持った手がぷるぷる震えてしまって…できれば右手で持つのはヴァイオリンの弓だけにしたいな、と思っていました。喋っていると声にビブラートがかかってしまって…。頭が真っ白になって、いきなり自己紹介を始めたり『緊張するのでそろそろ弾きます』と言って、演奏したり (笑)。ヨーロッパでもトークをすることがありますが、なぜか緊張しないんです。母国語じゃないから間違えても許してくれる、という安心感があるのかもしれませんね」

難易度の高いレアなプログラミングでお客様をうならせ、トークではユニークなキャラクターで『挨拶するだけで笑わせていた』という逸話も。今振り返っても、シャネル・ネクサス・ホールでの全6回のリサイタルは矢野さんにとって『とても幸福な時間だった』といいます。

©T. Tairadate

「なんでも弾いていいよ、というコンサートは実は珍しいのです。演奏会の多くは、主催者から『できれば受けするものを』『カルメン(幻想曲)とか、ロンド・カプリチオーソとか、チャールダーシュとか』というリクエストを受けます。シャネルでの演奏会は、そういった制約が一切ありませんでした。自分が演奏したいマニアックな曲に挑戦させていただいたことが、シャネルでのシリーズの翌年、2009年に東京オペラシティ主催のB→Cというコンサートシリーズで演奏させていただいた”バッハからコンテンポラリーまで”というプログラムの実現につながっていったと思います。ソリストとして活動することが多かった時代に、シャネル・ピグマリオン・デイズでのシリーズでは貴重なリサイタルをさせていただきました」

オーケストラでの活動に主軸を移されてからも、シャネルでの「冒険」が生きていることがうかがえます。アクシデントに強く、常にユーモアを忘れず、優美で生き生きとした音楽を聴衆に与えてくれる矢野さん。次々と語られる勇敢なエピソードに、ヴァイオリニストとしての筋の通った生き方が見えてくる時間でした。

 

取材・文:小田島 久恵(音楽ライター)

 

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