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2020.8.28 FRI

Exhibition

ピエール=エリィ ピブラック展
アートコラム
『「In Situ」シリーズから見るパリ・オペラ座の世界』

「In Situ」ピエール=エリィ ド ピブラック展が、シャネル・ネクサス・ホールにつづき、9月19日より開催されるKYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭 2020のプログラムとして京都府庁旧本館 正庁に巡回します。
『パリ・オペラ座バレエ物語』の著者でもあり、フィガロジャポンパリ支局長も務めた大村真理子氏が、「In Situ」シリーズ作品に収められたダンサーやバレエ公演についてのストーリーに加え、パリ・オペラ座の歴史や魅力に迫ります。展示をご覧いただいた方も未見の方もお楽しみいただけるよう、「In Situ」とパリ・オペラ座の世界へとご案内いたします。

 


 

パリ・オペラ座バレエ団、そのダンサーたちを撮影した写真家は過去に大勢いる。その中で、とりわけ幸運に恵まれたのはピエール=エリィ ド ピブラックではないだろうか。写真展「In Situ」で鑑賞できるのは、彼が2年をかけて撮影した膨大な量の写真から厳選された作品である。私たちが見慣れているパリ・オペラ座の写真は、衣装をつけたダンサーたちが照明の中に浮かび上がるステージ写真だ。舞台後方に控え、時に脇から時に頭上からシャッターを押し続けたピエール=エリィの写真は、それら正面から捉えられたステージ写真とは全く異なっている。舞台稽古もスタジオでのリハーサルも独自の角度で撮影を敢行した彼。つまりピエール=エリィの写真は、観客席からは不可能な視線でパリ・オペラ座を発見する幸運を私たちにもたらしてくれるのだ。

幸運、それは撮影をした写真家の彼自身にもいえること。2年間の撮影を振り返った時に、彼自身こう語っている。「信じられないほど素晴らしい機会が僕に与えられた ! 撮影を進めてゆく中で、このように感じました。驚くほどの至近距離から、さまざまな角度でオペラ座の中で起きる出来事に毎日接していたのですから」と。

「Confidences」シリーズより 『ル・パルク』の舞台風景

「パリ・オペラ座バレエ団の中に入り込んで撮影をする。もしそのプロジェクトが実現できたら、あなたから私への最高の贈り物になるわ」。その後彼の妻となるオリヴィアの言葉が、全ての始まりである。2009年3月、オペラ・ガルニエでアンジュラン プレルジョカージュ振付の『ル・パルク』を見て感激した二人が、劇場を後にした時のことだ。この撮影のアイディアを得てから、ダンスやオペラ座について さまざまなリサーチを行った彼が撮影許可を求めたのは、当時芸術監督を務めていたブリジット ルフェーヴル。彼の撮影の意図に耳を傾けた彼女は、シーズン2013-14中オペラ座内を自由に歩き回って撮影をする許可を彼に与えた。毎年9月に始まり7月に終わるシーズン中、年末はバレエ2作品が2つの劇場で踊られるのが習しとなっていて、彼が撮影するシーズン2013-14 はオペラ・バスチーユではルドルフ ヌレエフの『眠れる森の美女』、そしてオペラ・ガルニエでは彼の撮影プロジェクトのきっかけとなった『ル・パルク』の再演が ! なんという素晴らしい偶然だろう。

「Confidences」シリーズより 『ボレロ』の舞台風景、ニコラ ル リッシュのアデュー公演

彼がオペラ座に通った2013-14は、いつも以上にプログラムのバラエティが富んだ面白いシーズンだった。例えばべンジャミン ミルピエによる創作『ダフニスとクロエ』。アート界の大御所ダニエル ビュランが舞台装置を担当したこともあり、ダンスの世界を超えて話題を呼んだ。またこのシーズンは3名ものエトワールが去った特別な年でもあった。パリ・オペラ座では身体状況に関わらず男女ともにダンサーの定年は42歳で、ヒエラルキーのピラミッドの最高峰に位置するエトワールは希望すればアデュー公演が行える。シーズン開けにアニエス ルテスチュが『椿姫』、2月にはイザベル シャラヴォラが『オネーギン』を踊りカンパニーを去った。そしてシーズン末7月9日にニコラ ル リッシュが彼自身の構成による珍しいガラ形式でアデュー公演を開催した。代表作の『若者と死』、『アパルトマン』そして『ボレロ』を踊った彼は、最後の最後まで王者の風格 で劇場中を魅了 ! 彼はピエール=エリィの一番のお気に入りのダンサーである。感激で涙したピエール=エリィだが、その感動を写真に残したのはもちろんだ。

エトワールがパリ・オペラ座に別れを告げる最後の公演。その晩、舞台と客席の間に通常とは異なる独特な空気が流れる。興味をもってキャリアを追っていたダンサーのアデューとなれば、これは見逃せないだろう。ピエール=エリィが翌2014-15シーズンも撮影することにしたのも、彼が高く評価するオーレリー デュポン(現芸術監督)のアデュー公演があったことが理由の1つだった。

さて2013-14ではアデューもあれば、エトワールの任命もあった。新しい”星”が生まれる感動の瞬間はバレエ・ファンでなくても大勢が一度は居合わせみたいと願うものだが、これは任命される本人はもちろん誰にも予測ができない出来事である。2014年3月5日、『オネーギン』公演の最終日に主役タチヤーナを踊ったアマンディーヌ アルビッソンが任命された。同じ役でイザベル シャラヴォラがオペラ座に分かれを告げた直後のことだったので、ピエール=エリィの驚きは大きかった。これほど具体的に世代交代を物語る出来事に出会わすことになるとは !

「Confidences」シリーズより ジェルマン ルーヴェ

入団後、ダンサーたちは年に一度の昇級コンクールに参加して、エトワールを目指す。2014年4月、公演『オペラ座の若きダンサーたち』が久々に開催された。カンパニーが将来を嘱望するコール・ド・バレエのダンサーとしてこの晩踊ったのは25名。その中には現在エトワールとして活躍するジェルマン ルーヴェ、レオノール ボラック、ユーゴ マルシャンも含まれていた。ピエール=エリィも2年の撮影期間中、大勢の若手の中でジェルマンとユーゴの存在には着目していたそうだ。ルフェーヴル芸術監督は自身の最後のシーズンだったゆえだろう、在任中に彼女が振付家たちに創作を依頼した10作品でこの公演を構成。その半分以上は団員であるダンサーに創作させた作品だった。例えばジェルマン ルーヴェが踊ったのは、2005年にニコラ ル リッシュが創作した『カリギュラ』から。皇帝カリギュラの愛馬インシタトゥス役の彼は、ヴァイオリンが奏でるヴィヴァルディの『四季/ 冬』にのせて馬の優美さと力強さを感じさせる素晴らしい脚とポワントの仕事をみせた。この作品がたとえ再演されてもインシタトゥス役にエトワールが配されることはないだろうから、福眼の瞬間がここに残されているというわけだ。

「Confidences」シリーズより

パリ・オペラ座の中を自由に移動し、バレエ団で起きるあらゆる瞬間に居合わせることができた彼。透明人間あるいはカメレオンと化した写真家にとって、撮影できる内容は無限といえる。レンズを向けたダンサーたちの緊張とリラックス。ピエール=エリィは眼の前で起きている瞬間を、光のコントラストにフォーカスを置いて毎日切り取っていった。舞台裏で出を待つソリスト、袖からステージを見守るコール・ド・バレエのダンサーたち、リハーサルの合間に一息つくダンサー・・・無防備な姿、完璧なポーズに至る前のダンスの過程など、舞台裏やリハーサル・スタジオでのダンサーたちの日常の光景。日頃は表に出ることのない 秘密の世界だ。彼の観察力、洞察力が”盗み撮った”写真のシリーズは、「Confidences(コンフィダンス/内密)」と名付けられている。

午前のクラスレッスン、午後のリハーサル、夜の公演。ダンサーたちにはこれが日常生活だが、オペラ座の部外者にとっては驚くべき日々の連続である。もっともピエール=エリィが撮影を続けていた時期に、ダンサーたちの日常にも大きな変化が生じる出来事があった。『ダフニスとクロエ』の創作時に振付家として接した若きべンジャミン ミルピエが、その数ヶ月後、20年近く芸術監督を続けたルフェーヴルの後を継いだことだ。芸術監督の交代にも居合わせたピエール=エリィは、ステージの裏側に新しい風が吹くのを肌で感じることができただろう。2014年11月、ミルピエ新監督の就任。この時を逃すわけにはゆかない ! というわけで、前年末から年頭にかけて女性ダンサーたちの間でベビーブームが起きたのはシーズン2013-14のトリビアルな裏話である。

「Catharsis」シリーズより ピナ バウシュ『オルフェとユリディス』

パリ・オペラ座というとクラシック・バレエのイメージが強いが、例えばこのシーズンならピエール=エリィの心を動かした『ル・パルク』があり、ピナ バウシュの名作『オルフェとユリディス』があったように、コンテンポラリー作品もプログラムの中で大きな比重を占めている。彼が2シーズン目の撮影を希望したもう1つの理由は、ウエイン マクレガーがフランシス ベーコンにオマージュを捧げた『感覚の解剖学』という彼の好きな作品がプログラムされていたからだ。クラシック・バレエに比べ、コンテンポラリー作品では踊り手の解釈の自由に任されることがはるかに多く、時にはダンサーによる即興も含まれる。目の前で起きていることの瞬間を切り取る「コンフィダンス」のシリーズから一歩踏み込んで、彼がパーソナルなアプローチを試みたのが「Catharsis(カタルシス/浄化)」と呼ばれるシリーズ。展覧会「In Situ」のために彼が選んだシリーズを代表する写真は、主にコンテンポラリー作品での撮影である。表現者であるダンサーの体内から発され拡散される熱、光、エネルギー・・・彼自身が覚えた感動や衝撃が輪郭のぼやけた抽象的な写真に置き換えられ、それらを前にする人々にも自身の内に起きる感情で解釈する自由が与えられるのだ。

「Analogia」シリーズより

さてパリ・オペラ座バレエ団を語る時に、宮殿でもないのに建築家の名をとってガルニエ宮と呼ばれる壮麗なる建物に触れないわけにはゆかない。劇場の完成は1875年。ルイ14世の時代に遡り350年以上の歴史あるパリ・オペラ座にとって、13番目の劇場である。建築コンクールを勝ち得たシャルル ガルニエは舞台装置の転換や照明など今も見事に機能する構造を150年前に計算し、さらにエッフェル塔よりも先に鉄を建築材に使用するなど見えない部分にも革新をもたらした。ヴェルサイユ宮殿を彷彿させる鏡を多用したグラン・フォワイエ、”見る・見られる”大階段など豪華さと優雅さを盛り込んだ劇場は、来場者の夢をかきたて続けている。

この建築物に敬意を表してピエール=エリィが生み出したのが、歴史の重厚さの中にダンサーたちを配置した「Analogia(アナロジア/ 類推)」のシリーズだ。観客席、ロトンド・デザボネ、舞台裏のフォワイエ・ドゥ・ラ・ダンス、屋根の上・・・この撮影のために大勢の若手ダンサーが彼に協力し、舞台衣装をつけてポーズをとった。時に雰囲気を優先した照明で、時にディテールも浮き上がる強いライティングで、時に太陽による自然光でとピエール=エリィは光源を駆使して、事前に思い描いた構図に則った撮影を実現。一瞬を切り取った「コンフィダンス」とも、抽象的な「カタルシス」とも異なり、劇場空間の魅力を描いた絵画的写真となっている。

ガルニエ宮の中で好きな場所として多くのダンサーたちが挙げるのは、出演前にウォーミングアップを行うフォワイエ・ドゥ・ラ・ダンスだ。煌々たるシャンデリアが照らし、壁を覆う鏡がゴールドに輝く装飾の豪華さを倍増し、というように内装の美しさが凝縮された空間である。天井近く、上方の壁にぐるりと掲げられているのはバレエ団のかつての女性エトワールたちの肖像画。これから舞台に出ようとするダンサーたちを優しく見守っているのだろう。

もっともこの素晴らしい場所にも、闇の時代があった。画家エドガー ドガが19世紀末にオペラ座に通ってダンスをテーマに描いていたのは、女性ダンサーが生計のために権力と財力を有する男性たちの庇護を必要としていた時代。ドガの作品にも見て取れるが、裕福な定期会員と彼女たちの両者の出会いの場所として機能していたのが、このフォワイエ・ドゥ・ラ・ダンスだった。そんな悪習を排したのが、バレエ・リュスの元ダンサーでココ シャネルとも親しかったセルジュ リファールである。1930年にバレエ・マスターに就任した彼は男性のフォワイエへの出入りを禁止しただけでなく、公演中は劇場内を消灯することにし、バレエを娯楽から芸術に引き上げることに腐心した。

「Confidences」シリーズより プチ・ラと呼ばれるバレエ学校の生徒たち

エトワールのアデュー公演と同じくらいチケットが取りにくいのは、世界のバレエ・カンパニーの中でパリ・オペラ座だけが行うバレエのデフィレがプログラムされている晩だ。1926年に一度行われたものを セルジュ リファールが復活し、音楽をベルリオーズの『トロイ人の行進曲』に変えて、1947年にレパートリーに加えたのである。バレエ学校の生徒からエトワールまでがステージを優雅に行進するのだが、その際に舞台との仕切りが取り払われ、日頃は観客席から見えないフォワイエ・ドゥ・ラ・ダンスが舞台奥に煌びやかに姿を現す。シャンデリアの明りが鏡に反射する眩い空間からダンサーたちが次々と浮かび上がるように登場する、魔法の場所の魔法の時間。ガルニエ宮の上階にバレエ学校があった時代の名残りで今もプチ・ラ(小さなネズミ)と愛称される学校の生徒たちは、デフィレの際に憧れのエトワールたちと空間を共にし、傾斜のあるガルニエの舞台を初体験し、フランス文化の継承者となる未来を夢見る。興奮、期待、不安・・・そんなデフィレの舞台裏を至近距離から撮影するチャンスにもピエール=エリィは恵まれたのだ。

展示された1点1点を前に、鑑賞者は彼が浸った世界に旅することができる「In Situ」。彼からのお福分けである。

文/大村 真理子

All Photos ©Pierre-Elie de Pibrac/Agence Vu’

INFORMATION

KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭 2020
In Situ
ピエール=エリィ ピブラック展

presented by CHANEL NEXUS HALL 
 

会期 
2020.9.19 SAT - 10.18 SUN / 10:00 - 17:00 月曜日休館(9月21日のみ開館)/ 入場無料
 
開催会場 
京都府庁旧本館 正庁(京都市上京区下立売通新町西入薮ノ内町)

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