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FEATURED

2019.9.2 MON

Pygmalion 15th

シャネル・ピグマリオン・デイズ 2017
務川 慧悟 インタビュー

今年で15年目を迎えたシャネル・ピグマリオン・デイズ。昨年までに73名の若手音楽家たちがこのプログラムで演奏の経験を積み、アーティストとしての一歩を踏み出してきました。15年という節目を迎え、これまでに参加してくださったアーティストたちの「いま」をご紹介するインタビューシリーズを、2月よりスタートしました。

シリーズ第6回目は、シャネル・ピグマリオン・デイズ2017年参加アーティストであり、現在パリで研鑽を積んでいる務川慧悟さん(ピアノ)にお話をお伺いしました。

© T. Tairadate

 


 

 

務川 慧悟(ピアノ) Keigo Mukawa
シャネル・ピグマリオン・デイズ2017 参加アーティスト

1993年生まれ。東京藝術大学1年在学中の2012年、第81回日本音楽コンクール第1位受賞を機に本格的な演奏活動を始める。2014年パリ国立高等音楽院に審査員満場一致の首席で合格し渡仏。現在、パリ国立高等音楽院第2課程ピアノ科、室内楽科にて研鑽を積む。2019年秋よりパリ国立高等音楽院フォルテピアノ科に在籍予定。
2015年エピナル国際ピアノコンクール(フランス)2位。2016年イル・ドゥ・フランス国際ピアノコンクール(フランス)第2位。コープ・ミュージック・アワード国際コンクール(イタリア)第1位、併せて各部門優勝者によるファイナルにて聴衆賞を受賞。2018年秋に開催された第10回浜松国際ピアノコンクールにおいて第5位を受賞。2017年シャネル・ピグマリオン・デイズのアーティストに選出され「ラヴェルピアノ作品全曲演奏」をテーマに6回のリサイタルを開催。これまでに、日本各地、フランス、スイス、上海、ラトビア、イタリアにて演奏会を開催のほか、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団、東京フィルハーモニー交響楽団、東京交響楽団、練馬交響楽団、神奈川フィルハーモニー管弦楽団、藝大フィルハーモニア管弦楽団、セントラル愛知交響楽団、愛知室内オーケストラ、中部フィルハーモニー交響楽団、NHK名古屋青少年交響楽団、トリフォニーホール・ジュニア・オーケストラ、フランスにてロレーヌ国立管弦楽団と共演。室内楽においては、チェロの木越洋氏、長谷川陽子氏、ヴァイオリンの篠崎史紀氏、大谷康子氏、等と共演。テレビ、ラジオでは、NHK-FM“リサイタル・ノヴァ”“ベストオブクラシック” NHK-Eテレ“さらさらサラダ”“ららら クラシック”等に出演。日本、ヨーロッパを拠点に幅広く演奏活動を行うと共に、「ピアノの本」において留学記、ヤマハHPにてコラムを連載するなど、多方面で活動している。2012.13.14年度ヤマハ音楽振興会音楽支援奨学生。2015.16年度公益財団法人ロームミュージックファンデーション奨学生。2017年度公益財団法人江副記念リクルート財団奨学生。現在、フランク ブラレイ、上田晴子、ジャン シュレム、横山幸雄の各氏に師事。

シャネル・ピグマリオン・デイズ2017参加アーティストとして、計6回のリサイタルで多彩な作曲家の作品とともにラヴェルのピアノ・ソロ作品のすべてを演奏した務川慧悟さん。留学先のパリ音楽院で学んだ多くのことを取り入れながら、他の誰でもない務川さんご自身を確立したシリーズで、多くのファンを虜にしました。

その後の務川さんを大きく成長させたのは、2018年11月に行われた第10回浜松国際ピアノコンクールでした。世界中のトップクラスの参加者がしのぎを削る中、最初のラウンドから落ち着いた表情を見せ、ファイナルまで進み5位に入賞。正確なメカニックはもちろん、内面的で豊かな表現力も加え、短期間で驚くような進化を見せてくれました。この秋からはパリ音楽院の古楽器科での勉強をスタートさせるという務川さんに、この2年間で内面に起こったという音楽観の変化についてたずねました。

©T. Tairadate

「浜松のコンクール(以下、浜コンと表記)では、藝大時代に弾いていたレパートリーを引っ張り出したり、音楽史の授業で学んだラモーを組み入れたり、多彩なプログラミングにしました。作曲家によって使う技術も変えて、音の作り方も変えていくようにしましたが、それは高校生くらいから意識してやっていたことなんです。ある程度弾き分けが出来ることを見せていこうと、一次からファイナルまで色々な作曲家の作品を選び、スタイルも変えていきました。ファイナルで選んだプロコフィエフの『ピアノ協奏曲第3番』は小学生の頃から好きな曲で、日本音楽コンクールの本選でもこの曲を弾きました。浜松では指揮者の高関健さんが僕の目指すあの曲のイメージに近い疾走感のある指揮をしてくださって、すごく弾きやすかったです。とはいえ、もともとコンクールは苦手で、出来るならなるべく出たくない(笑)。心臓に悪いですし、コンサートのほうがずっと好きです。第5位という結果には満足していますし、目立つのが好きではないので、あまり上位に入って注目されるのは逆に嫌だったかも…(笑) 浜コンでの経験が僕の人生にはプラスになりましたし、生活全体がいい方向に変わりました」
 

ファイナルでの演奏 ©︎浜松国際ピアノコンクール事務局

©T. Tairadate

コンクールの1年前くらいから、多忙なスケジュールをこなしていく日々がはじまり、ピアノとどう向き合うべきか悩んだという務川さん。

 
「浜コンのちょうど1年前の夏休みがめちゃくちゃ忙しかったんです。日本でコンサートをする機会が増えて、自分の練習が半分『作業』みたいになっていました。なるべく早く曲を仕上げるということに焦点を当てていたので、精神的な負担になってしまったんです。尊敬している音楽に対して『とにかく早く仕上げなければならない』と思うことが嫌で。それで夏休みが終わった後、もう少しゆとりを持って勉強しなければならないと思うようになり、自分のスケジュールを調整して、余裕を持たせるようにしたんです。そうしていくうちに、音楽がより好きになって…それが浜コンの1年前でした。とにかく今まで以上に音楽が大好きになって、ひとつの曲にもっと時間をかけたいと思うようになりました」
 

CHANEL NEXUS HALLにて©T. Tairadate

 音楽への新たな情熱が生まれた時期は、ちょうどシャネル・ピグマリオン・デイズでの全6回のリサイタルのうち、前半3回が終わったあたりだったといいます。前半3回と後半3回では、取り組み方に変化があったと務川さんは振り返ります。

 
「ピグマリオン・デイズでの最初の目標は、自分が今まで勉強してきた芸術や表現を、1年かけて6回のリサイタルでまとめていくということでした。学んだことをしっかりと自分のものとして確立し、演奏家として安定した姿勢を持ちたかったのです。それはある意味、うまくいったのかも知れません。僕は以前から家では出来ていたことが舞台ではなかなかうまく再現できなくなってしまうタイプで、リサイタルに『慣れる』ことがまず大事だと思いました。自分が頭に思い描いていたことを、舞台上で“きちんと”出していくことが目標だったのですが、途中から考えがだんだん変わっていって。やはり本番というのは、その瞬間に光る特別なものがなければならないんだ、と気づいたんです。家で練習していて思いつかないようなことを、舞台上でひとつでも思い浮かべることが出来れば、それでいいんだと。いつも安定した演奏ではなく、何か新しいものを舞台で表現したい…という方向に変わっていったんです」

©T. Tairadate

2017年の「超多忙」な夏休みをきっかけに、ますます音楽とともに生きる喜びを感じられるようになった務川さん。表現にもいくもの変化があらわれるようになったといいます。

 
「僕はどちらかというと昔から理系で論理的な考え方が得意でした。でも、生活にゆとりが生まれる中で思ったのは、『音楽に感情をともなっていたい』ということなんです。ラヴェルは父親が時計職人で、半分機械みたいなところがありましたが、母親はバスク人で情熱的で感情的な側面があります。ラヴェルの場合、作品には感情的な面は普段は秘められあまり頻繁には表に出てきませんが、いい意味で2つの側面を持っている人だったのかもしれません。機械的な面と感情的な面、そこに自分と通じるところがあるかなと思います。シャネルではラヴェルのソロのピアノ曲を全曲演奏しましたが、パリ留学前に弾いたことがあったのは『ソナチネ』と『水の戯れ』だけでした。留学1年目に『クープランの墓』を勉強したときに感じたのが、パリの冬のベージュ色の建物と暗い雲。フランス人ピアニスト モニク アースのラヴェルのCDを聴きながらよく散歩していて、彼女の演奏がちょっとくすんだ水彩画みたいなモノクロームな世界観なんです。そのときに『ラヴェルっていいな』と思いました。留学して1年目で結構気分が滅入っていた時期で、パリの冬の景色とラヴェルの曲が心に染み込んで、だんだんのめり込んでいきました」

©T. Tairadate

留学5年目となるパリ音楽院では、来年から古楽器科を専攻し、古楽のスペシャリストであるパトリック コーエン氏に師事されます。

 
「とても面白い先生で、プラスティックで出来ているような服を着ていたり、全身がピンク色だったりして、ご本人もいつも歌って踊っている方なんです。パソコンも携帯電話も固定電話も持ってらっしゃらないので、連絡を取りたいときは文通をするしかないという先生です。演奏会はモダンピアノで行いますが、もともと趣味でチェンバロを弾いていたので、古楽器科で勉強を始めることはそれほど唐突ではないんですよ」

 
「フランスにいるからと言って、フランス人の性格にならなくてもいい、とは強く思っています。考え方自体は日本にいたときよりアバウトになっているので、その点は影響を受けているのかも知れませんが…。ピアニストとして生きていくためには、色々しっかりしなきゃとずっと思っていたんです。でも、根本的には『自分の好きな作品を、好きなときに弾いていられたらそれでいい』と思うようになりました。以前は、音楽家としてのキャリアを登っていかなければ…と考えていましたし、それは確かにやらなければならないことなんですが、キャリア自体が目的にはならなくなりました。好きな作品を好きな空間で弾いていたいからピアニストになる…シャネル・ネクサス・ホールで弾いた経験が、それを気づかせてくれたんです」

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